私の父は昭和8年生まれ。
昔気質の日本男児というべきか、口数が少なく、特に褒めることに関しては滅多にしません。
父の姿勢は、まさに武士道精神を受け継いだものであるかのようです。
武士道には、感情をあまり表に出さないという考えがあり、褒めることさえも控え、内に秘めることが美徳とされていたのかもしれません。
例えば、家族みんなで食卓を囲むとき。母が一生懸命作った料理を食べた後、父はただ「ご馳走さまでした」とだけ言います。
「美味しかった?」と尋ねても、「こんなもんだろう」とか「おぉ」といった、そっけない返事が返ってくるだけです。
それがたまにイラッとすることもありますが、それでも父は毎回きちんと手を合わせ、「ご馳走さまでした」と言うのです。
この態度は、まるで感謝の気持ちを隠し、内に秘める武士道そのもののようです。
褒め言葉を使わないことで、自らの弱さを見せないようにしているのか、あるいは感情を表現すること自体が恥ずかしいのかもしれません。
しかし、父の姿勢は時代の影響もあるでしょう。昭和一桁生まれの男性たちは、硬派であることが求められた時代を生き抜きました。
そのため、褒めることを避け、感情をあまり表に出さないことが当たり前とされていたのかもしれません。
父もその価値観を身に付け、現在まで守り続けているのでしょう。
そんな父を見て、家族は時にイラッとしたり、がっかりしたりすることもあります。
母や妹たちも、もっと素直に「美味しかったよ」と言ってくれたらいいのに、と思うことがしばしばです。
けれど、父の無口な姿勢には、彼なりの愛情と誠実さが込められているのかもしれません。
父の「ご馳走さま」の一言には、言葉にしない感謝の気持ちが詰まっているのではないかと感じます。
そして、その一言があるからこそ、母はまた次の日も一生懸命に料理を作るのです。
家族みんなが健康で、美味しい食事を一緒に楽しめることが、父にとっての幸せなのかもしれません。
もちろん、たまには「美味しかったよ」「ありがとう」と言ってくれたら、もっと嬉しいのですが、
父の世代にはそれがなかなか難しいのだと思います。
私もそれを理解し、時には「父も心の中では美味しいと思っているのだろうな」と感じながら、
彼の無言の感謝を受け取るようにしています。
最近では、時折、「今日は美味しかったね」とさりげなく言うようになった父。
その一言が、私たち家族にとっては大きな進歩であり、彼の心の変化を感じる瞬間でもあります。
このように、昔の日本人、特に昭和一桁生まれの人々には、感情を表に出さない武士道精神が根付いているのかもしれません。
しかし、その中にも確かに愛情があり、家族を思う気持ちが込められているのだと感じます。
私たち家族も、父のそんな姿勢を理解し、受け入れることができれば、さらに温かい家庭が築けるのではないかと思います。
そして、時にはこちらから「美味しかったよ」と伝え、
父が少しずつその心の中の感謝や喜びを言葉にできるように、支えていきたいと思っています。
感情の表現が異なることを理解し合いながら、家族の絆を深めていくことこそが、現代においても大切なことではないでしょうか。