味の記憶は、私たちの生活の中で強く残るものの一つです。
特定の食べ物を口にするだけで、その食材に対する過去の経験が蘇り、好みや嫌悪感が形成されます。
このような「味覚の記憶」は、個人の無意識の中に深く刻まれ、時には集合無意識として他者にも影響を与えることがあります。
ここでは、味覚の記憶がどのように個人の経験として形成され、そしてその記憶がどのように書き換えられるかを一つのレポートとして紹介します。
同時に、私たちは味覚や感情などの「目に見えない」情報がインターネット上に記録される未来について考えてみたいと思います。
現代では、テキストや画像、音声、動画などの「目に見える」情報がインターネットに記録されていますが、
味覚や感情などの感覚情報はまだデジタル化されていません。
未来において、インターネットはどこまでアカシックレコードのような「全ての記憶を記録するデジタルアーカイブ」に近づくことができるのでしょうか。
味覚の記憶とその書き換えについて
子供の頃に食べすぎてしまったさつまいもが、ある人の中で嫌悪感として残り続けた経験があります。
さつまいもが嫌いになったのは、一度の経験がその後の記憶を形成し、無意識のうちにそれを避けるようになったためです。
この「味覚の記憶」は、その人の意識に深く刻まれ、長い間さつまいもを食べることを拒んでいました。
しかし、大人になってから、友人からいただいた焼きたての安納芋が、彼の記憶を再び書き換えました。
甘く香ばしいその焼き芋は、かつての嫌な記憶を超え、新たな「おいしい」という記憶を刻み込んだのです。
このように、味覚の記憶は一度形成された後でも、経験を通じて上書きされることがあります。
現在は当たり前のように皆さんが行っている『上書きして保存』の作業と同じですよね。
これを読まれている方でも『上書きして保存』はもちろんですが嫌いなものが好きになったような経験があると思います。
これは、個人の無意識がどれだけ強く記憶を保持しているかを示す例であり、またそれが書き換え可能であることをも示しています。
私たちの記憶は静的ではなく、動的であり、経験によって常に変化し続けます。ようするに『上書き』されていくわけです。
インターネットとアカシックレコードの関係
インターネットは、情報を広範囲に保存し、アクセス可能にする非常に強力なツールです。
しかし、味覚や感情などの情報は、今のところインターネット上に残すことが不可能ですよね。
現代のインターネットでは、文章や映像を通じて記録できるものの、その背後にある深い感情や感覚を正確に伝えることは困難です。
しかし、技術の進歩によって、味覚や感情をデジタル的に記録・再現する可能性が広がっているようです。
例えば、電気刺激を利用して味覚をシミュレーションする技術や、生体データを基に感情を記録する技術が研究されています。
将来的には、これらの技術が進化することで、味覚や感情をインターネット上に記録し、他者と共有することができるようになるかもしれません。
もしこのような技術が実現すれば、インターネットはアカシックレコードに近い存在へと進化するかもしれません。
アカシックレコードは、宇宙に存在するすべての記憶や経験を保存するという概念ですが、
インターネットがそれに近づくことができれば、個人の体験や感情がデジタルアーカイブとして保存され、
未来の人々がそれにアクセスできるようになるでしょう。
技術的進歩と倫理的課題
このような未来が実現する可能性は非常に魅力的ですが、同時に倫理的な課題も生じます。
例えば、他者の感情や記憶をどのように扱うべきか、プライバシーや個別性をどのように守るべきかといった問題です。
現在の生成AIによる著作権問題などはそのプロローグなのかもしれませんね。
さらに、人工的に作られた感情や記憶が本物と見なされるのかという哲学的な問いもあります。
私たちは、テクノロジーの進化とともに、それをどのように受け入れ、どのように対応していくかを慎重に考える必要があります。
インターネットがアカシックレコードに近づくことができれば、私たちの生活や文化、
そして人間そのものに対する考え方が大きく変わる可能性がありますが、それがどのように進化するかは、私たち自身の選択にかかっているようです。
味覚の記憶の書き換えという個人的な経験から、インターネットとアカシックレコードの関係に至るまで、
私たちは情報と記憶の保存に対する新たな視点を持つことができます。
技術の進化が私たちの体験をどのように記録し、共有できるかを見つめながら、その未来に向けて慎重に進む必要があります。
未来のインターネットは、単なる情報の保存ツールを超えて、人間の感覚や感情をもデジタル化し、
新たな形での記憶の保存と共有が可能になるかもしれません。
私たちがその未来をどのように迎え入れ、利用するかによって、インターネットはアカシックレコードに近づき、
新たな次元の記憶と経験の共有が可能になるでしょう。