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料理は真実を語る・・2つの「最後の晩餐」を巡る謎とは?

2つの「最後の晩餐」から紐解く、料理と真実の物語
食事は、単なる栄養を摂る行為に留まらない、ということに気付いたのはいつだったでしょうか。
それはもしかしたら、一枚の名画、あるいは一本のドラマがきっかけだったかもしれません。
私たちの心を捉えて離さない「食」にまつわる物語を紐解くとき、必ずといっていいほど登場するのが、
レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名作『最後の晩餐』と、日本のユニークな刑事ドラマ『コック警部の晩餐会』です。
一方は、キリスト教の壮大な歴史と教えを伝える宗教画。もう一方は、現代日本のサスペンスドラマ。
一見、まったく異なるジャンルのように思えますが、この二つの作品には、「料理」という共通の鍵が隠されています。
そして、その鍵は、それぞれの物語の「真実」を解き明かすための重要な役割を担っているのです。
名画『最後の晩餐』に秘められたドラマ
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、誰もが一度は目にしたことのある有名な壁画です。
この絵画が描いているのは、イエス・キリストが磔にされる前夜、十二使徒と共に食事をしたという聖書の重要な場面です。
その食事の最中、イエスは「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切る」と予言しました。
この一言が発された瞬間の、使徒たちの動揺、困惑、そして緊張感が、ダ・ヴィンチの卓越した技術によって見事に描き出されています。
絵画の中で、特に目を引くのがユダの姿です。
彼は他の使徒たちから少し離れた場所に描かれており、手にはイエスを裏切る代価として受け取った銀貨の入った袋を握りしめています。
ダ・ヴィンチは、この些細な描写によって、ユダの内なる葛藤と罪の意識を鮮やかに表現しました。
これは、単なる食事の風景を描いたのではなく、人間の心理とドラマを見事に表現した芸術作品なのです。
『最後の晩餐』の背景には、ユダヤ教の「過越祭(ペサハ)」の儀式がありました。
過越祭とは、古代エジプトで奴隷となっていたユダヤ人が解放されたことを記念する、ユダヤ教で最も重要な祭りの一つです。
このため、晩餐の食卓に並んだ料理も、この祭りの伝統に則ったものであったと考えられています。
聖書には具体的なメニューの記載はありませんが、歴史的背景から推測すると、以下のような料理が供されていたとされています。
聖書の食卓を再現する
- 無発酵パン(マッツァー):エジプト脱出の際、パンを膨らませる時間さえ惜しかったことを象徴するものです。イエスはこれを「わたしの体」と表現し、聖餐(せいさん)の儀式の基礎となりました。
- ワイン:これもまた聖餐のシンボルです。イエスは「わたしの血」と語り、これを飲むことで彼との結びつきを表現しました。
- 羊の肉:過越祭の儀式では、生け贄として捧げた羊の肉を食べるのが習わしでした。
- 苦菜(マロール):奴隷時代の苦難を忘れないためのハーブです。現代の過越祭の食卓にも欠かせない要素となっています。
これらの料理は、ただ空腹を満たすためのものではなく、宗教的な意味と歴史的な記憶を伝えるためのものでした。『最後の晩餐』は、食事という行為が持つ深い意味を改めて私たちに教えてくれるのです。
現代に蘇る「最後の晩餐」
さて、時代は下って現代日本。私たちが「料理」と「真実」の結びつきを改めて感じさせてくれるのが、ドラマ『コック警部の晩餐会』です。
このドラマの主人公である古久星三(こっく ほしみ)警部もまた、「料理」を通して事件の真相に迫ります。
彼の捜査方法はとてもユニークです。被害者が最後に食べた「最後の晩餐」を完璧に再現し、それを手がかりに事件を解き明かしていきます。
古久警部にとって、料理は単なる食べ物ではなく、事件の手がかりであり、被害者のメッセージなのです。
彼の信念「料理はウソをつかない」は、食べる人の個性や心理、さらにはその時の状況までも映し出す、まさに真実を見つけ出すための強力なツールとなります。
このドラマの魅力は、古久警部の卓越した料理の腕前と、その独特な捜査スタイルにあります。
彼は再現した料理を犯人と思しき人物に食べさせ、その反応から真実を引き出そうとします。
このプロセスは、まるで犯人の心理を「料理」で炙り出すような、鮮やかな手際で描かれています。
視聴者は、古久警部の大胆な食べっぷりや、その独特のキャラクターに引き込まれ、物語の世界に没頭していくのです。
『コック警部の晩餐会』は、単なるミステリードラマではありません。料理が持つ力と温かさを再認識させ、食を通じて人と人との繋がりを考えるきっかけを与えてくれる、深いテーマを持った作品なのです。
2つの晩餐が語りかけるもの
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』と、ドラマ『コック警部の晩餐会』。
この二つの作品は、時代も文化も異なりますが、「料理」を通じて「真実」を追い求めるという点で共通しています。
『最後の晩餐』では、食事が宗教的な意味と運命を象徴しています。
イエスはパンとワインを弟子たちに分け与えることで、自身の犠牲と愛を伝えたのです。この食事は、人間の裏切りと信仰が交錯する、まさに運命の瞬間でした。
一方、『コック警部の晩餐会』では、料理が科学的な証拠と心理的な手がかりとして機能します。
古久警部は、被害者の最後の晩餐を再現することで、事件の背後に隠された人間関係や感情を読み解いていきます。
そこには、食べ物に対するこだわりや、その人が生きてきた軌跡が凝縮されているのです。
どちらの物語も、料理が単なる食事に留まらず、人々の心や真実を映し出す鏡であることを示しています。
私たちの身近にある「食」という行為が、実はこんなにも深い意味を持っていることに、改めて気づかされます。
もう一つの『最後の晩餐』エピソード
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』には、美術史の豆知識として知られる面白いエピソードがいくつかあります。その中でも特に有名なのが、「モデルにまつわる逸話」です。
この作品を制作するにあたり、ダ・ヴィンチはイエスとユダのモデル探しに大変苦労したといわれています。
まず、イエスのモデルは、純粋で高潔な青年を見つけ、その姿を理想化して描きました。
その後、裏切り者のユダを描くために、街を放浪し、ようやく荒んだ顔をした男を見つけました。ダ・ヴィンチはその男をモデルに起用し、ユダを描き上げたそうです。
そして、絵が完成した後、そのモデルの男がダ・ヴィンチにこう語ったという伝説があります。
「先生、私を覚えていますか?私は以前、先生がイエスのモデルにした青年です。」
このエピソードの真偽は定かではありませんが、この物語は、人生の浮き沈みや、人が持つ光と影を象徴するものとして語り継がれています。
『最後の晩餐』という一つの作品が、人間の純粋さと堕落の両面を一つの人生の中に描いているのかもしれません。
そして、この伝説は、私たち自身の内にある善と悪について、深く考えさせるきっかけを与えてくれます。
料理が結ぶ「真実」
「コック警部の晩餐会」から「最後の晩餐」へ。二つの作品は、時代やジャンルを超えて、私たちに大切なメッセージを投げかけています。
それは、料理が単なる物理的な行為ではなく、文化、歴史、そして何よりも人々の心を結びつける力を持っているということです。
『コック警部の晩餐会』は、私たちの日常にある「食」という行為を、新たな視点で捉え直すきっかけを与えてくれる、とても面白いドラマです。
古久警部のユニークな捜査手法と、美味しそうな料理の数々は、きっとあなたの食欲と知的好奇心を同時に満たしてくれることでしょう。
すでに高い評価と人気を集めている作品ですので、まだ観たことがない方にはぜひおすすめです。
『コック警部の晩餐会』で、食のミステリーを体験しませんか?
『コック警部の晩餐会 DVD-BOX』は、見応えのあるミステリーと、古久警部の痛快な食べっぷり、そして心温まる物語が詰まっています。
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料理の力に改めて感動し、真実を追い求める楽しさを知ることができるはずです。
ぜひ、この二つの「最後の晩餐」を通じて、食が持つ奥深い世界を堪能してください。
by МK

材料(2人分)
全形海苔 / 約1枚
スライスチーズ (とけない) / 約1~2枚
【赤】デコふり 赤色 / 1袋
【赤】炊いたご飯 / 約60g
【黄】デコふり 黄色 / 1袋
【黄】炊いたご飯 / 約60g
【緑】デコふり 緑色 / 1袋
【緑】炊いたご飯 / 約60g
炊いたご飯 / 約100g×2人分
茹で卵の白身 / 1個分
レシピを考えた人のコメント
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